滝島園の歩み

江戸時代

砂川村の新田開発に伴い、青梅から移り住む

明治時代~昭和30年代

ここ砂川の土地が水はけがよく稲作に向かない土地である為、主にゴボウ、
サツマイモ、ムギなどを生産。特に生糸の生産に必要な桑がよく育つことから生糸の生産(養蚕)を主体としていた
また、カイコに必要な桑の苗を生産し日本全国に出荷を行っていた

昭和36年

祖父滝島義次がそれまでの主体である養蚕業から植木生産業に転換
主な生産物としてプラタナス、イチョウ、ケヤキ、トウカエデなどの
公共緑化樹を中心に生産を始める

昭和45年

高度経済成長による開発にともない、日本全国で開発、都市化による
公共緑化や戸建て住宅の庭木ブームにより植木生産業を大きく軌道に乗せる

昭和58年

父滝島栄次が脱サラし家業を継ぐ
主にハナミズキ、ケヤキ、つつじ、サクラを生産

平成16年~現在

滝島 聡が脱サラし家業を継ぐ
生産物もサクラ、ケヤキ、ハナミズキの定番商品以外にも
近年の住宅事情に合わせた樹木(オリーブ、シマトネリコ、ジューンベリーなど)を生産し
現在に至る